フィルム・レビュー:
「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」
知ることで何ができるわけでもないけれど、 知ることで何がしらの自分の判断に影響を与えることはできる。 小さなことではあるが、 一人一人のその積み重ねが国単位の方向性を決めることもあるかも しれない。 知ったからってどうなるんだという無力への慰めではないが、 近頃の僕はそんな傾向がある。 単に年を取ったせいでもあるのだと思う。 とてもナイーブすぎる意見というのは承知している。
僕たちが仕事に出掛けたり、 夕飯の支度をしたりしている間にも誰かが理不尽な目に合っている 。なんの罪もない子供だって殺されている。 そんなことをいちいち気にしていては生きていられないけど、 その事実は知った方がいいし、 圧倒的な弱者が圧倒的な強者に虐げられているのなら、 僕たちは圧倒的な弱者の声に耳を傾けないといけない。
共同監督を務めたパレスチナ人のハムダン・バラル氏が、 西岸地区の自宅でイスラエル人入植者から暴行を受け、 イスラエル軍に連行された。 アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した後である。 映画の中で「行方不明になって帰って来た人はいない」 という言葉があった。無事を祈るしかない。
そもそも、 カメラを回しているのにイスラエル軍や入植者はカメラをほとんど 遮ろうともしない(中には遮ろうとする場面があるにはあるが)。 つまり彼らは悪いことをしているという感覚がない。 世界中にニュースとして流れるであろう共同監督の拉致だってお構 いなし。
映画の中で入植者が銃を手に迫ってくる場面の恐ろしさ。 まるでフィクションの映画のようだと錯覚するけど実際の映像なの だ。急にやってきて、ここに軍用地を作ることに決まったからと、 静かに暮らしている人々の家をぶっ壊し、 気に入らなければ銃を向ける。 そして実際には軍用地など作らない。狂っている。 まともではない。
どんな映画でもたくさんの下調べが必要だ。準備に何年もかかる。 それに適当なことは言えない。お手軽なSNSとは違うのだ。 この作品は怖い場面もあるし、確かにハードルが高い。 しかし映画というのは大いなるメディアだ。 僕たちはそれなりの時間をそれなりの集中力をもって観る。 この行為はとても大切だと思う。
確かに知ることで何ができるわけではない。でも知ってもらうことで何がしらの影響を与えることはできる。その積み重ねが国単位の方向性を決めることもあるかも しれない。そのことを信じて、 映画に関わった人たちは死と引き換えの覚悟で撮影をした( 実際に拉致されてしまったけど)。僕は映画の力を改めて強く感じた。