邦楽レビュー:
『FANTASMA』(1997年)コーネリアス Cornelius
ソロ・デビュー作『『The First Question Award』(1994年)での過剰な言葉や2nd『69/96』(1995年)での過剰なサウンドでコーネリアスが試していたことは、結局どこをどう表現すれば何がどれだけ表現されるかの確認であり、それを見極めるにはその分野で目一杯メーターを振ってみるしかなかった。その上で一応はたどり着いた答えは、結局のところ何か一つの切っ先をいくら鋭利に研いでみせようとも何か一つでやり切れることはたかがしれているということではなかったか。
しかし考えてみれば、フリッパーズ時代から意味なんてなく、彼はスカスカの箱を用意していただけで、そこに僕たちは勝手に意味を見出していただけ。ただその箱があまりにもキラキラとしていたものだから、僕たちは随分とその気になってしまったわけだけど、その素敵な箱は逆に言うとフィクションだからこその輝きだとも言える。
音楽に限らず、フィクションにどれだけリアリティーをぶち込めるかが作家の腕の見せ所でもあるわけだけど、このことは自分のことを云々するよりもはるかに難しい。自分のことを垂れ流しては僕のメッセージですだなんて言う人もいるが、それなら誰だってできることで、創作とはやはりないものから何かを創り上げる、あるいは内的なものを外的なものに変換することではないだろうか。
それにその外的なものが既にあるなら、わざわざ創ることはないだろうし、そもそもリンゴがどれひとつとて同じではないように、どんなものでも同じものは存在しない。例えて言うと、このアルバムには誰もが知るメリーゴーランドや誰もが知る観覧車はないし、誰もが知るポップ音楽からは外れたようなヘンテコな乗り物ばかりではあるけれど、作者が真摯であればあるほどそうなってくるのはごく自然なことで、僕たちは初めての乗り物になんだこれと驚いたり目を丸くしながら楽しめばいいのだ。つまりここでもコーネリアスは場を用意しているだけ。
多分ここまでがフリッパーズ・ギターでスタートした彼の初速。ソロ1stが1994年、2ndが1995年、3rdが1997年と目一杯のスピードで走り続け、いろいろなことを試しに試した結果は始めから分かっていたことかもしれないが、実践することでより強固になった。