詩への向かい方

詩について:
 
「詩への向かい方」
 
 
詩は誰でも気軽に始められるアートです。音楽のように楽器が弾けなくてもいいし、絵画のように道具も要らない。同じ文学にしても俳句や短歌のような制限もないから、思い立って書くだけで誰もが始められる。こんなに間口の広いアートフォームは他にないと僕は思っています
 
そして思いつくまま書いてみる。意外と書けたら嬉しくなってまた書いてみる。そうするとネットで詩を調べたりするだろうし、アンソロジーの詩集を買ってみるかもしれない、特定の詩人の詩集を買うこともあるかもしれない。そういうことを繰り返していくうちに、ふと気付くことある。そうか、こうやって書けばいいんだ、詩とはこういうことなんじゃないかって。
 
でもその気付きは一瞬のこと。気付いたはずのことさえ分からなくなるし、すぐにまた別の壁が立ちふさがる。書けば書くほど分からなくなってくるし、読めば読むほど分からなくなってくる。これはもう音楽とか絵画とかも一緒ですけど、分からなくなってくるということは少しずつ分かってきているっていうことなんです。ただそうしたちょっとした気付きを繰り返していくと、たとえそれが些細な、それこそ紙きれや薄いセロファンのような薄い気付きであっても積み重なっていくものがあるんです。そしてその薄い積み重なりによって、少しずつではあるけれど、自分にとっての良い詩が着実に書けるようになっているのだと僕は思います。
 
ここで大事なのは自分にとって、ということです。少しずつ書けてくると、少しずつ詩が読めるようになってくると、詩とはこういうものなんじゃないか、詩とはこうあるべきなんじゃないかというルールが自分の中で芽生えてくることがある。それはそれでいいのだと思います。自分の目指す詩というものが明確になっているということですから、そこを目指せばいい。厄介なのはそのルールを他人にまで当てはめてしまうことだと思います。例えば、あなたのこれは詩じゃない、日記だ、単なる感想だって。
 
詩への向かい方って人それぞれなんだと思います。それこそ志高く絵画や音楽のようにいっぱしの作品としてアートとして成立させたい、そう思う人もいるだろうし、自分自身のセラピーのために書いている人もいるかもしれない。あるいは身近な人、困っている人に向けて元気になってもらいたい、そう思って書く人もいるかもしれない。千差万別、そこも含めて自由なアート表現なんだと僕は思いたいです。
 
せっかくの誰でも気軽に始められるアートなんです。広い間口をわざわざ狭くする必要はない。今の時代、ただでさえ詩は遠い存在なのですから、どんどんウェルカムでいい、僕はそう思っています。ただ自分なりの価値観で、こんなのは詩ではないと論じることも否定されるべきではありません。それもまたひとつの詩のありよう、詩への真摯な向かい方なのですから。
 
ただ僕のスタンスとしては、当人がこれが詩ですと言えばそれは詩でいいと思っています。せっかくの自由なアートなのです。ルールなんてクソくらえです。せっかくの懐の深い、自由な世界です。もっと多くの人に詩に触れてほしい、取り組んでみてほしい。それが僕の詩に対する基本的な向き合い方です。というところで繰り返しになりますが、これもあくまでもひとつの考え方です。

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