読書の秋

その他雑感:
 
読書の秋
 
 
『14歳の君へ』という池田晶子の著作を息子に手渡した。以前、Eテレの『100分de名著』で紹介されていたのを見て、息子が14歳になったら送ろうと思っていた。もちろん、ちゃんと自分でも読んでから渡した。
 
息子に望むことはここに書かれてあることを鵜吞みにすることではなく、こういう考えもあるんだという視野を広げてもらいたいということもう一つは誰かが異なる意見を述べた時にちゃんと聴くことが出来る素地を作ってもらいたいということ。若いころはとかくこうずべきだ、なんて自分の考えに固執するきらいがあるが(僕が多分にそうだった)、少しずつものの見方の幅を広げていってくれたら嬉しい。
 
以前贈った植松努の本は気に入ってくれたようで、自分の部屋の本棚に大切に置いてくれている。僕も多感な頃にこうした本に触れていれば少しは今と変わっていたのかもしれない。
 
息子も娘も時間があればスマホやタブレットを触っている。あれは色々な情報を与えてくれるが、Aiが使用者の傾向を勝手に分析し、困ったことにそれに応じた情報を流してくる。スマホで読む情報なんてたかが知れているが、そうは言っても毎日繰り返し続けられると、サブリミナル効果のように更に考えが偏るように刷り込まれていく。そんなことは分かっていてもついスマホを見てしまう。大人がこれなのだから、無防備な子供への影響度は計り知れない。
 
その点、紙の本というのは面倒な分、自分でちゃんと選んでいるという責任があるのがいい。それに1000円で買ったなら、ちゃんと1000円分は読もうという気になるし、子供に贈る場合も読まれずにその辺にポンと置かれたままだとかなり悲しいので、ちゃんと読んでくれる工夫をして手渡す。
 
それに読むのにはそれ相当の時間がかかるのがいい。スマホのように次々と自分にとって気持ちのいい情報が流れてくるということはないから、読みながら立ち止まったり戻ったりと自分で判断できるのがいい。また1冊読んでも、分かったような分からないような気になるのがいい。難しい本を頑張って読んだけど、結局よく分からなかったというのもなかなか良い時間の過ごし方だと思う。
 
そういうわけでこれからも折を見て、息子に本を手渡そうと思う。そろそろ中原中也の簡単なアンソロジーなどどうだろう。いやいやまだ早い。こんなところで詩から離れてしまわれても困るので、中原中也は高校生になって彼が困っているようならプレゼントしよう。もちろん、堅苦しい本だけじゃなく、漫画もたまに一緒に読みながら。
 
ところで娘はほとんど本を読まない。いくら薦めても全く駄目。先日、珍しく読んでいるなと思ったら、好きな芸能人のエッセイ本でした(笑)。

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