アート・シーン:
『永遠のソール・ライター』in 美術館「えき」KYOTO 感想
僕は詩が好きで常に何かを読んでいるものだから、自分の中にも時々言葉が落ちてくる。そうするとやっぱり書きとめたくなる。ただ、そうやって自分の楽しみで書いていたものが、やがてこれは何か意味があるのかなって思わなくもない。例えば他の人の詩には切実な思いがある、書かずにはいられない理由がある、気がする。けれど僕はどうだ。そんな切実な思いないやん。
ソール・ライターの写真展に行ってきた。一言で言うとオシャレな写真です。見てるとあれもこれもと沢山の気付きがあって語りたくなる、喚起力がスゴいんです。で見ながらふと思う。ソール・ライターは何を言いたかったのかなって。
写真を取ることは見つけること。絵を描くことは創造すること。これはソール・ライターの言葉です。ソール・ライターは一瞬の美を切り取っていたんです。世に美しいと言われるもの、ではなく単純なこと、あるいはつまらなく見えるものの中にある美を。
世に美しいと言われるものにしても世間一般が規定したものですよね。だったら、わたしが規定した美、あなたが規定した美でもいい。ソール・ライターは美しい風景を切り取っているだけなんです。これはオレが美しいと思うもの。あなたはどう?って。
ではソール・ライターにとっての美とは何か?それはもう自然美ですよね。意図されたもの、準備されたものではない、偶然がもたらす一瞬の調和、例えば道ゆく人の足が交差する一瞬訪れる完璧な世界。山や木々ではなく彼が暮らす街、ニューヨークの自然美。
ソール・ライターは言います。私の写真によって世界を進歩させることはできないけど、誰かをいい気分にさせることはできるって。ソール・ライターは一瞬訪れる完璧な美を見つけると写真を撮らずにはいられない。ポートレートもたくさんあったんですけど、多分あれはほら、ショーウィンドウに映った自分のシルエットが中の商品や回りの景色と調和してなんかいいなって思うことあるでしょ。あんなノリじゃないかな。
街の自然美、ソール・ライターにとっての偶然訪れた一瞬の均整、彼はそれが目について仕方がなかった。街に生きているとたくさん目につく、いや、もっと見つけたい、そこにシャッターを押したいって。
ソール・ライターに主張したいことはなんですか、何を表現したいのですか、あなたが写真を撮る理由はなんですかって聞くのはなんか違うような気がしてきたな。目につくのはしょうがない、シャッターを押したいのはしょうがない。その瞬間を捉えたいんだもん。多分、他に理由はなくてもいいんです。