引退試合

その他雑感:
 
「引退試合」
 
 
先日、藤川球児投手の引退試合が行われたんですけど、僕はあれがどうも苦手です。藤川投手は’00年代の強いタイガースの象徴でもあり、僕も好きな選手の一人なんですけど、ああやってこれで最後ですよと笑顔で登場して、バッターがわざと空振りをして、意図的なショーを演出するのはどうしても直視できません。
 
先ず僕にはプロ野球選手というのは僕らの手の届かない特別な存在だという認識があります。150km/hの球を投げる。ホームランを打つ。とてつもない身体能力で届きそうもない打球をキャッチする。鍛え抜かれた体と技術を有したプロの選手が真剣に勝負をするからこそ、僕は感動したり興奮したりするんですね。それが予め決められた予定調和であれば興味はない、筋書きのないドラマだからいいんです。
 
藤川投手はまだ150km/h近い球を投げることが出来る。仮にチームが戦力として考えているならば、引退宣言しようがしまいが1軍で投げればいい。僕たち観る側としては戦力としてマウンドに上がった藤川投手を、あぁ、今日で最後かもしれないな、と心に思いながら観る。それが特別な存在であるプロ野球選手に対するリスペクトではないかと思います。もし残念ながら1軍に上がることが叶わなかったら2軍のマウンドに上がった藤川投手を観に行けばいいし、マウントに上がれなかったならばそれもしょうがない、プロの世界はそういうものなのだから。
 
引退するんだからそれでいいじゃないかとか、ファンが喜んでいるからいいじゃないかという意見もあるかもしれません。でもプロ野球選手は僕らの愛玩の道具ではないのです。あくまでも主体はプロの野球選手同士の真剣勝負であるというところを忘れてはいけないと思う。
 
引退試合に出てきた選手に花を持たせようと故意に空振りをする、故意に打ちごろの球を投げるというのは所謂「忖度」と呼ばれるものです。それはここ数年、政治の分野で何度も耳にした、僕たちが忌避していたものではなかったでしょうか。そんな大層なものではないよと言う人がいれば、それこそプロ野球選手へのリスペクトに欠けるのではないかと思います。
 
故意に空振りをするというのはその投手の価値をおとしめるものです。あの分かってても打てないと言われた火の玉ストレートはなんだったのかと。あの藤川球児が手加減される姿など見たくはありません。
 
プロ野球はファンあってのものです。けれど最も大事な部分は保持しなければならないと思います。

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