映画『未来のミライ』(2018年) 感想

フィルム・レビュー:

未来のミライ (2018) 感想

 

自粛生活だからというわけではありませんが、『未来のミライ』を家族で見ることになりまして。で子どもたちがいちいち笑うんですよ、パパみたいって(笑)。オレ、そんなにくんちゃんのお父さんみたいに奥さんに尻に敷かれてんのかなぁと思ったりもするんですけど、間近で見てきた子どもたちがゲラゲラ笑うんだらきっとそうなんでしょう。僕も自分を見るようでちょっと恥ずかしい部分はありましたから(笑)。

ま、くんちゃんのお父さんもそうですけど、成長の物語ですよね。お母さんもばあばもひいじいじもゆっこもミライちゃんもくんちゃんも、ぜ~んぶ現在進行形でずっと生きてきた、或いは生きている。昔があって今があって多分未来がある。自分の人生だけじゃなく自分の存在も含め、点ではなく線なんだぞと。でもそういう気づきってちょっと元気湧いてきますよね。

それはごく当たり前の日常もしかり。ほら、電車乗って外見てたら色んな家があってマンションがあって。あぁ、あのマンションの灯りひとつひとつに人住んでいてそれぞれに悩みがあって心配事があって幸せがあって、ほんでもってちょっとしたドラマがあって。そんなこと思ったことありますよね?多分、そういう映画なんだと思います。

やっぱ細田守監督だから、「いっけぇぇぇーっ!!」みたいなカタルシスを求めちゃうところはあって、僕も最初は正直物足りなかったんですけど、あぁこの映画はそうじゃないなって。最初にワン・シチュエーション・コメディみたいなのがずっと続いていくことで見ている方の心の準備が、あぁそうじゃないなこの映画はって気づくんですけど、最初の限られた部屋での数シーンは多分そういう意図があっての演出だったのかもしれないですね。

物語は後半に入ると時代があっちこっち変わったりするんですけど、印象的なのはひいじいじのエピソードですね。この時のくんちゃんが男の子感が増してたのが良かったです。

で、ひいじいじがくんちゃんに言うんですね、「遠くを見ろ」って。凄く印象的に交わされるセリフですけど、この言葉がこの映画の一番深いところに流れるテーマだったのかもしれないなと思いました。

僕は子どもの時、自転車乗ってると壁とか木に結構ぶつかる子だったんです。あれは壁にぶつかると思ってそっち見ちゃうからぶつかるんであって、大丈夫な方、道の方を見れば自然と自転車は
ぶつかる方をそれていくんですね。だからやっぱ「遠くを見ろ」ってことなんです。

とかく夢見てないで足元を見ろって言われがちですけど、それも確かにそうなんですが、やっぱり視線は前向いて、自分の進みたい方向を見る。そうすると自ずとそっちへ向かっていくもんなんだと。綺麗事かもしれないですけど事実そういう部分はあるんだと思います。

今は世の中こういう状況ですから、そこと繋げて見てしまう部分はあるんですけど、やっぱり今だけを見てるとしんどいじゃないですか。そうじゃなく遠くを見る、未来であったり遠い昔であったり、点ではなく線を意識する。そうすることで少しはポジティブになれるのかもしれないですね。

手探りだから遠くを見るしかない。それは未来だけじゃなく時には過去の事だったり。それに僕たちの未来は唐突にやって来るのではなく、今と繋がっているし、勿論これまでとも繋がっている。

そういうテーマが割りと明確に僕には立ち上がってきました。映画見てそんな風にはっきりとしたイメージで捉えることはあんまりないんですけど、『未来のミライ』に関しては凄く明確に伝わってきました。

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