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いやいや「いだてん」は面白い!
大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の視聴率が低調らしいが、いやいやかなり面白いぞ。ということで唐突ですが、先日の第20回「恋の片道切符」の感想です。はは~ん、そういうことやったのねと思っていただければ幸いです。
とその前に。このドラマが始まる前、天の邪鬼な私としては、「けっ、2020年東京オリンピックのプロパガンダかいっ」と思っていました。が実は実は大間違い。プロパガンダどころかちゃっかりスポーツはこうでなくっちゃっていう批評が盛り込まれているんです。
例えば、満を持して出場したアントワープ・オリンピックでは、テニスで日本初の銀メダルを獲得するものの金栗四三始めその他の競技は完敗。帰国後の記者会見で記者から選手団が集中攻撃を受ける中、二階堂トクヨはこう言い放ちます。「オリンピック最優先の体制を改めない限り、わが国の体育の向上はない!」と。これ完全に今の日本に対して言ってますよね(笑)。
あと嘉納治五郎が欧米との実力の差にこう呟きます。「重要なのは50年後、100年後の…」。視聴者はこれまでの嘉納治五郎のイケイケぶりを観てますから、きっとこの後のセリフは、「50年後、100年後の日本選手が欧米人と対等に、いやそれ以上に戦えるよう」みたいなことを言うのかと想像します。ところがです、嘉納治五郎は満面の笑みでこう言うんです。「50年後、100年後の選手たちが、運動やスポーツを楽しんでくれていたら、我々としては嬉しいよね」と。
この場面の嘉納先生は神々しかった~(笑)。それまでは女子はスポーツしては駄目なんですかと訴えるシマに対しても、全く理解を見せるところが無かったあの嘉納治五郎がここでは打って変わってこういうセリフを吐く。なんか嘉納治五郎が一気に開花したような錯覚を覚えました(笑)。
シマは女子がスポーツなんかするもんじゃないと言われながらもこっそりと朝早く起きて、マラソンの練習に励んでおります。そこへ四三の朝練とかち合います。そしてその邂逅と四三がオリンピック後の放浪中にベルリンで観た景色、女子が当たり前のようにスポーツをする景色を見て四三は天啓を得るわけですが、ここでシマとの邂逅が繋がるわけです。
そのシマ。今回の話では彼女の「キエーッ!!」というシャウトが聞けます。そうです。四三の持ちネタですね。四三が素っ裸で水浴びをして「キエーッ!!」と叫ぶ。もう「いだてん」の定番です。ところが最近はその四三の「キエーッ!!」の回数が減ってきた。そこで今回はシマが初の「キエーッ!!」。次週の予告編ではシマが何度もシャウトする姿が描かれています。しかも四三は女学校の教師!?
つまり第21回、ここから四三の精神がシマへ受け継がれることを意味するのです。密かな主役交代と言っていいんじゃないでしょうか。日本人初のオリンピアン、金栗四三から女子体育の夜明けを担うシマへのバトンタッチ。私はそういう風に受け取りました。
この点、先のトクヨさんの発言や嘉納先生の発言と被って来ません?つまりそういうことなんです。勝利至上主義やメダルを何個獲ったとかではなく、市井の人々が等しくスポーツを楽しめることこそが本来のスポーツではないかと。金メダル、金メダルと念仏のように唱えていた四三もまたここで鮮やかに開花するのです。
私は芸術というのはすべからく批評の精神が宿っていると思っているんですね。たかが日曜夜の大河ドラマにそんな大層な理屈付けるんじゃないよと言われるかもしれませんが、これはやっぱり芸術なんだと。制作者一同もきっとそういう心意気なんだと私は思います。
ちなみにシマ演じる杉咲花さんは昨年末の「笑ってはいけない」に出演。バス内でのコントでいきなり「ギヤーッ!!」と叫び笑いを起こしていました。「いだてん」でのシャウトはそこから始まったのではと私は勝手に解釈しております(笑)。
いやはや、「いだてん」の解釈に脱帽しました。体育とスポーツの
違いですな。運動会の指導などしていると、「運動やスポーツを楽しんでくれていたら、我々としては嬉しいよね」への道のりは遠いなぁと思います。スポーツは教育ではなく教養なのでしょうね。教養となるとそこには、主体性が必要となります。
部活動スポーツの体罰のニュースは、主体性に基づく教養がないということの表れでしょう。
「いだてん」また観てみようかなと思います。
ありがとう
コメントをありがとうございます。
下手な人は下手なりに、上手い人は上手いなりに。
形にこだわらず体を動かすことは楽しいな、って思えたらええですね。
昭和の部活は下手な人は相手にされませんでしたから(笑)