わたしを離さないで/カズオ・イシグロ 感想

ブック・レビュー:

『わたしを離さないで』  カズオ・イシグロ

 

カズオ・イシグロの小説は解決されないことが解決されないままそこにあって、それでも時間は流れていくみたいなイメージが僕にはある。ただそれでも読んで良かったと思わせる魅力が彼の作品にはあって、それはやっぱり心に形のあるものが明確に残るからで、解決されない、いつまでもあぁそうかって腑に落ちないものではあり続けるんだけど、読んだ後では心のありようが違ってくるというか、具体的にどうとは言えないけど、お前はどうなんだと問いかけられているような、その問いがいつも心に引っ掛かりを残し続ける。彼の作品はそんなような作用を読み手にもたらすものなんだと思います。

誤解を恐れずに言うと、僕はやはり最後に反逆して欲しかったなって。素直に無垢にそうは言えない事は十分承知しているつもりだけど、そう思いたい、というか、でもそれって僕自身の偽善を突きつけられているような気分もあって、やはり一概には言えないんだけど、ページ数が残り少なくなって、もうそういうことは起きないんだなと分かっていてもやはり最後まで反逆して欲しかった、早く逃げて、なんで逃げないのっていう気持ちが強く残ったのは正直なところです。

キャシーとトミーは逃げちゃだめだったのかな。いや逃げられないのは分かっている。僕たちはもう世界中と見えるところ見えないところで繋がり合っていて、もう誰とも無関係ではいられない。グローバリズムなんて言ってるけど、要するに極論すれば誰かの幸せは誰かの不幸の上に成り立っている訳で、そんなこと俺はしてないと言ったって僕たちは美味しいものを食べたり、誰かにプレゼントをしたりっていう行為の中で、その裏にはもしかしたら僕たちの知らない誰かが犠牲になっているかもしれないし、僕らの新しいスニーカーは誰かの裏庭を荒らしているかもしれない。原発や沖縄の問題を思い浮かべればよく分かる。いくら綺麗ごとを言ったってもう僕たちはそういう世界にいるのだ。

そういう意味ではキャシーやトミーも逃げることはできないのかもしれないし、反逆して欲しかったななんて言ってるけど結局僕たちは今のところエミリー先生でもあり、彼らを腫物でも見るような目で見てしまう存在でもあり、反逆される側でもあるという事実からは目をそむけることは出来ない。一方でいつ僕たちもそちら側になるかもしれない、そしてそちら側へ行けばもう簡単には戻ってこれないという現実をも孕んでいる。

それでも彼らに逃げて欲しかったのか、反逆して欲しかったのかと問われれば、そうした複雑な感情が絡むにせよ、そうだという気持ちが勝ってしまうのはどうしようもない事実として今の僕には残っている。逃げて、っていうのは自分自身のつい見て見ぬふりをしてしまう現実に対する負い目から解放されたいという自己防衛みたいな気持ちが働いたからかもしれないし、それは否定しきれないけど、偽善だと言われようが彼らに逃げて欲しいという気持ちは事実としてある。感情的に言ってしまえば、キャシーたちの犠牲の上に立つ幸福なんて要らない。

そんなこと考えようが考えまいが何も起こらないし世界は変わらない。けど、そういうことを心のどこかに残していく、目に見えない引っかき傷を残していくという行為は無駄な事ではない、意味のあることだと思います。

僕はフィクションにこそリアリティーは宿ると思っている。この物語はイギリス人が書いた遠い国の空想ではない。僕たちの物語でもあるのだ。

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