ゴッホ展~巡りゆく日本の夢~京都国立近代美術館 感想

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ゴッホ展~巡りゆく日本の夢~ 京都国立近代美術館 感想

 

京都国立近代美術館で開催されているゴッホの展覧会に行ってきました。今回の展覧会はゴッホと日本の関係に焦点を当てたもの。1880年頃のパリは芸術家による「ジャポニズム」への接近が顕著な時期だったらしく、ゴッホもその影響を受けていたとのこと。なるほど、浮世絵を収集したり、知り合いの店で浮世絵の展覧会を開いてもらったり、思っている以上に日本が好きだったみたいだ。純粋に日本に憬れていた節もあって、すぐ夢中になるところなんかは子供みたい(笑)。ゴッホが日本に親しみを覚えてくれていたなんて嬉しいなぁ。

ゴッホ展に入ってすぐに大きなゴッホの肖像画があった。ゴッホはたくさんの肖像画を残したが(モデルを雇うお金が無かったかららしいけど)、ここにあるのは『画家としての自画像』。凄い迫力。僕が一番印象的だったのはその立体感だ。描かれている筆の1本1本がちゃんと立っている。実物を見るとそれがスゴイ分かる。横にあった『三冊の小説』も同じ。立体感があって、まるで飛び出す絵本を見ているみたい。ゴッホ独特の線なので写実ではないのだけど、ホントにそこにあるみたいで、先ずこれに僕は度肝を抜かれました。

ゴッホが「ジャポニズム」に触れたのはパリ時代。ということで展示はパリ時代から南仏アルル時代が中心となる。どれも素晴らしい。僕は時折展覧会に行くのだけど、正直気に入ったものもあれば、ふ~んって感じのものもある。でも今回のゴッホ展は気に入ったものだらけ。ふ~んってやり過ごすのはほとんどなかったんじゃないかな。やっぱエネルギーがスゴイんです!僕もものを書いたりしますが、時折自分に問うのは、本当にこれがお前の言いたいことなのか、これはどうしても書かなければならない言葉なのか、ということ。それがゴッホの絵にはあるんです。ゴッホのエネルギーとか気持ちがちゃんとそこにあって、やっぱ生きた絵。描くべくして描かれた絵っていう感じが凄くするのです。やっぱかくあるべし!って思いました(笑)。

多分、ていうかきっとゴッホは絵を描くのが好きだったんだろうし、でも好きで好きで俺はこれで行くんだ~って早くから決めていたわけじゃなく、28才になってようやく画家を志すみたいな人で、ゴッホの絵は短い線で構成していくのが特徴なんだけど、その一本一本が几帳面な感じがして、そういう性格的にもメンドクサイところが絵からも存分に出ている気がして、そこがスゴイ絵なんだけど何故か親近感を覚えるところにも繋がるのかなぁ、って思いました。

人の顔や静物なんかもたくさん展示してあったけど、やっぱ僕は風景画が好きです。『アイリスの咲くアルル風景』、『糸杉の見える花咲く果樹園』、『花咲くアーモンド』、『サント=マリーの道』。ほんと素晴らしい。『蝶の舞う庭の片隅』なんてただの田舎道を接写して描いているだけなのに、凄くいい。畔道の雑草や蝶への優しい眼差しというか、ちょっと難しい人だったかもしれないけど、こういうのを見てると基本は優しい人だったんだろうなって。

ゴッホの絵を見てると、なんで空が黄色なの?とか、妙なところに妙な色が入ってるってのがよくあるけど、『オリーブ園』の地面が肌色なのは驚いた。スゴイ生命力。ちょっと生々しくって怖かった。

晩年の絵を見てると(晩年といっても37才で亡くなってしまったけど)、例えば『ポプラ林の中の二人』とかは景色と一体になっているというか、景色の中に入ってもうゴッホ自身が景色になっている感じ。自分と絵の境目がなくなってくるというのか、ゴッホ自身が風景の中に溶け込んでしまっている、そんな印像を受けました。人生には長短に関係なく四季があるっていうけれど、ホントそうかもしれないな、って思いました。

ゴッホは生前、1枚も絵が売れなかったとか。貧乏で仕方なくって、弟のテオに随分と援助をしてもらって(あんなに大きなキャンバスに絵の具を塗り込めてたんだから、絵の具代だけでも相当だったと思う)、きっと売れたかったんだろうな、評価されたかったんだろうなって思うけど、でもやっぱり自分がこれだと思えるものを描けたときの喜びというのは他に代えがたい喜びだったはずで。『サント=マリーの海』っていう荒々しいアルルの海を描いた絵と『麦畑』っていう穏やかなアルルの風景を描いた絵が2枚並んで展示してあって、だから僕はこれを見た時にどうしようもなく感動したのです。きっとゴッホはこれを描いた時に「やった!」と思って、僕は描けたぞっていう喜びがあって、もしかしたらしばらく、ほんのしばらくかもしれないけど、絵から近寄ったり少し離れたりしながら何度も見返して、人生で最高の喜びを、人生の意味をほんの一瞬だけでも了解したんじゃないかって。僕には何故かそんな光景が目に浮かんで、本当に感動して目頭が熱くなってしまいました。

ゴッホの絵はホントにリアル。写実じゃないから写真みたいじゃないけど凄くリアル。それにエネルギーに溢れてる。でもなんだか落ち着くんだなぁ。これはもう僕の勝手な思い込みだけど、やっぱゴッホは絵を描くってことだけでホントに他意はなかったからで、ただいい絵を描きたい、自分でこれだと思えるものを描きたい、その一心さが僕ら見ている人に何らかの安らぎというかプラスの感情をもたらしているのかもしれない。そんな風に思いました。

面と向かって話すと誤解や齟齬ばかりで空回り、なかなか上手くいかないけれど、絵だと時にこれは自分だというものを表現できた。目指す絵が描けないとそれはそれでストレスが貯まったろうけど、それでも絵が最大の自己表現だとすれば、やはり描くことは止められなかったのだろうなって。なんか分かるような気がします。

偉大な画家だけど、そう遠くに感じない。僕にとってゴッホとはそんな人です。京都でのゴッホ展はもうしばらく続きます。皆さんにとってのゴッホを見つけてみてはいかがでしょうか。

3 thoughts on “ゴッホ展~巡りゆく日本の夢~京都国立近代美術館 感想”

  1. 京都でゴッホですか。豊か田なぁ。しゃ真の様ではないがリアルなのは、やはり境目がないほどゴッホの筆が君の心に伸びてきたのでしょうか。距離を感じないのがリアルの証ですから。
    私は、書店でユリイカを手にしコーンスープかきまぜました。

    1. 気の効いたコメントをありがとう。
      流石やねっ!
      ちなみにユリイカ掲載の件、知ったのはゴッホ展の帰りに寄った河原町の丸善でした。丸善ってのがなんかいい感じ。

      1. おはようございます。昨夜は失礼、気づかず。寝てました。
        丸善とは、こら粋な。
        コーンスープ
        ゴッホに檸檬
        ことしは黄色がきりうと
        みなした。

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