軍隊

ポエトリー:

「軍隊」

 

近日中にオレたちは加害者になる
見知らぬ人を連行し海を渡らせる
羽根は優雅な鳶色で
短い距離を一直線に
ガラス戸さえもぶち破る
身体に流れる軍隊が
否応なしに向かわせる

賑やかな階段を踏みしめる
空は穏やかだ
しかし間違いなく黒ずんでいる
背丈は伸びる一方だったのに
今や無理難題を突きつけられ
今日遂にかなしみが
色濃く残る風景を背に
目指したものの当落線を踏み外す

羽根は優雅な鳶色で
道に迷った人々をとっ捕まえては
新大陸へと向かわせる
手続きなしの新大陸へ

 

2024年3月

折坂悠太 ツアー2024 あいず 心斎橋BIGCAT 4月15日 感想

ライブ・レビュー:

折坂悠太 ツアー2024 あいず 心斎橋BIGCAT 4月15日

 

今この時に折坂悠太は何を歌うのだろう。そんな気持ちを持ちつつ、初めての折坂悠太のライブに足を運んだ。その4月15日は月曜日。先週末から体調が芳しくなく、そのうえ月曜日という気分もあって、初折坂だというのに気持ちは上がらない。仕事を切り上げへBIGCATに到着。なんとか間に合った。そして定刻、バンドが現れた。

小さなライブハウスなので、演者が良く見えた。と言っても僕は極度の近視。眼鏡を掛けてはいても表情までは見えない。が、そんなことは別にいいや。折坂のギターが初っ端からいい音。彼らの世界にどっぷりと漬かることが出来た。

アルバムのリリースがあったわけでもなく、これといったプロモーションがあったわけでもないのだろうけど、ちょっとしたツアーを実施。こういうツアーは面白い。制作中なのだという来るべきアルバムに備えての新曲も沢山演奏してくれた。知らない曲なのにいい感じだ。ま、知っていても知らなくても折坂悠太の曲は馴染みがいいからスッと入ってくる。

そうだ、大半の曲は知らなかった。このところの新曲『人人』や『鶫』はあったけど、僕が持っている2枚のアルバムからの曲はそんなになかった。でもそれでいい。ていうか今夜はそれがいい。歌詞ははっきりと聞き取れない、けどぼんやりと耳に飛び込んでくるフレーズが、あぁ折坂悠太だなぁ。それにあの声、マイクは通しているけど、ダイレクトに聴こえる。張り上げる声と合間にボソッと話すMCの声、同じ人だという実感ができる。

特にテーマが無かったのだろう。バンドの演奏、アレンジも多岐にわたっていてとてもよかった。アンビエント音楽のような時間もあれば、どうしたプログレかと思う時間もあり、エレキギターがぎゃんぎゃん鳴る時間もあった。このバンドはパーマネントなものかどうかは知らないが、アルバムを一緒に作っているようだから気心知れた間柄なのだと思う。とてもいいバンドだった。

アンコールでも新曲が披露された。中盤がスポークンワーズ形式になっていた。最終的にはメロディが付くのかどうか知らないが、そこで「子どもをまもろう」と明確に語る折坂悠太がいた。今この時に彼は何を歌うのだろう。ぼんやりとそんなことを思いながらのライブであったが、時折そうした今の実感が聴こえてきたような気がする。うん、特に何かできるわけじゃないけど今はそれが素直な本音だ。

ちなみにツアー・タイトルの’あいず’は’eyes’なのだそうだ。僕はてっきり’合図’だと思っていた。勿論、織り込み済みだと思う。日本語は面白い。次は大阪城野外音楽堂とかで見たいな。狭いライブハウスがちょっと窮屈だった。

Where We’ve Been, Where We Go From Here / Friko 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Where We’ve Been, Where We Go From Here』(2024年)Friko
(ウェア・ウィーブ・ビーン、ウェア・ウィ・ゴー・フロム・ヒア/フリコ)

 

長らくロック不遇の時代などと言われてきたが、なんの前触れもなくこういうのが突如やって来るのがロックである。去年から騒がれていたザ・ラスト・ディナー・パーティーと違い、フリコは特に取りざたされることなくデビューしたにも関わらず、なぜかここ日本で真っ先に大バズリ。洋楽離れが叫ばれているこの日本でこんなことが起きる嬉しさ。早速、フジロックに出演決定ということで、ザ・ラスト・ディナー・パーティーとフリコそろい踏みのフジロック、うらやましすぎるぞ!

ザ・ラスト・ディナー・パーティーと同じく、フリコもライブ表現が抜群に恰好いい。バンドはボーカル&ギターのニコ・カペタンとドラムのベイリー・ミンゼンバーガーの二人。ライブではそこにサポートとしてベースが加わるのみというのが基本スタイルか。しかしこの小ユニットで鳴らされるサウンドの隙の無さ。荒々しくも洗練されたサウンドからは彼らの基礎体力の高さが伺える。しかし何より脇目もふらぬ初期衝動。やっぱロックはこれに尽きる。

アルバムを聴くのもいいけど、ついついライブなYouTubeを見てしまう。これはやっぱり単に音楽がいいということではなく、その音楽の鳴りに立ち居振る舞いを含めたビジュアル的なカッコよさがあるから。また実際のビジュアルもボーカル&ギターのニコ・カペタンがジョニー・デップ似のイケメンでドラムのベイリー・ミンゼンバーガーが女子というのもポイントが高い。狙ってできるわけじゃないけど、こういうところは非常に大きいです。寡黙にドラムをばしばし叩くベイリーもカッコいいけど、情熱的に体をくねらせセクシーにシャウトするニコにキャーキャー言う女子はきっと多いぞ。

Pratts & Pain / Royel Otis 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Pratts & Pain』Royel Otis(2024年)
(プラッツ&ペイン/ロイル・オーティス)

 

オーストラリアの新人デュオ。ラスト・ディナー・パーティーやフリコがドカンと来た一方でその隙間を縫うように個性的なバンドが登場している。この二人もなかなか凄い。先の2組が将来のヘッドライナー候補だとすれば、こっちはもっと斜に構えたひと癖もふた癖もあるバンド。ドラムスみたいなへなちょこロックかと思えば、シェイムみたいな硬派な一面もあってどれが本当の姿か分からないが、きっとどれも本当の姿。

しかしそれが誰でもできる手垢のついた代物であれば何もわざわざ表現することは無い。ここには彼らなりのやり方で彼らなりに捕まえた真実を彼らなりの誠実さで表現せざるを得ない性急さがある。一見すると変態的な音楽が鳴ってはいるように見えるけれど、彼らはロックの系譜にただ忠実たろうとしているだけ。ここには後に取っておこうなどという成熟さは一切なく、ただ自分たちの思い出を救い、目いっぱい青空に投げつける焦燥感しかない。へなちょこでも剛速球でも気にしちゃいられない。これは青春のパンク。あらゆる音楽をとっかえひっかえ夢中になり、ありとあらゆる栄養を身に付けた彼らは迷いなくアウトプットする。

これはあれに似てる、これはあれっぽいというのはあるにせよ勿論それらも織り込み済みで、彼らにとってはそのいずれもが大切な音楽。そんな距離が離れているわけでもない音楽を行ったり来たりしながら、妙に耳に付く愛嬌のあるメロディー。それを支えるのはギター。やっぱり青春はギターだ。

湯呑み

ポエトリー:

「湯呑み」

 

ぬくもりというものを景気づけに
一杯やろうというあなたが
冷え冷えとした心の内底に写し出しているもの

知らないことを覚えるため
知っていることを忘れるため
できるだけ工夫をこらしている私たちは
いつだって健気です

ある日
薄ぼんやりとあなたの似姿を湯呑みに浮かべ
ゆっくりと蓋をしました

だれかの酒の肴になるようなものが
かつてここにはありました
機能不全に陥る記憶
もいちど蓋をあける勇気はなくて

 

2023年2月

Prelude to Ecstasy / The Last Dinner Party 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Prelude to Ecstasy』The Last Dinner Party(2024年)
(プレリュード・トゥ・エクスタシー/ザ・ラスト・ディナー・パーティー)

 

話題のラスト・ディナー・パーティーのデビュー作。噂に違わずめっちゃカッコいい。2024年にもなってこんな煌びやかに伸び伸びと自己表現をするバンドに出会えるとは。しかも全員女子!着飾った見た目に先ず持ってかれますけど、そこも含めよくもまあこれだけのことが表現できるなと。これからどうなっていくかも全く想像できないですけど、新しい世代の新しいロック・バンドがドドーンと登場しましたね。

先ず音楽的なバック・ボーンが凄くしっかりとしています。転調の多い非常に難しい曲ばかりですけど、しっかり埋めるところは埋めて空けるところは空けて、強弱というか起承転結が見事ですし、それにこんな難しい曲なのにちゃんとボーカルがリードしている歌モノとしての強さが感じられる。やっぱりどんだけ凄いことしていても広く受け入れられる素地が無いとね。ここがすごく大事です。

てことで思い出すのはやっぱりクイーンです。ああいう芝居がかった曲、大袈裟なアクション、そういうのが何の違和感もなくスッと受け入れられるのは異例です。はっきり言ってラスト・ディナー・パーティーも異端児ですよね。でもそうは感じさせないスマートさ、華やかさが彼女たちにはあるんです。フレディ・マーキュリー擁するクイーンだってそうだったし、デヴィッド・ボウイだってそうだった。もっと広げればマイケルだってプリンスだってそうですよね。

つまりかつては沢山あっていつの間にか無くなった大袈裟で過剰なロックがここに来てまさかの復権ですよ。その先鞭をつけたのが言わずと知れたマネスキンですけど、そのマネスキンにしてもまだ20代前半ですから、ロックは完全に復活したと言っていいですね。

あともう一つ付け加えると、音源は確かにかっこいいけどライブはねぇ、というのは新人あるあるですけど、彼女たちの場合はむしろライブの方が格好いい!!そういう意味ではマネスキンもそうですけど、フェスやなんかで一気に客を掴むことが出来る強さ、場を制する強さを持っているのも非常に大きいです。やっぱロックはこうでなくちゃね。

Wall of Eyes / The Smile 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Wall of Eyes』The Smile(2024年)
(ウォール・オブ・アイズ/ザ・スマイル)

 

レディオ・ヘッドのツートップであるトム・ヨークとジョニー・グリーンウッドがジャズ・ドラマーのトム・スキナーと組んだ2作目。レディオヘッドは全く音沙汰なしなのに、こっちは2022年の1作目からわずか2年で新作を出すなんて、いったいどういう料簡だいトム・ヨークにジョニー・グリーンウッド。創作意欲が無いわけではなく単にレディオヘッドだとやる気が起きないということなのか。

このアルバムはそりゃあいいです。1枚目の初ユニットゆえのウキウキ感から一歩進んで、更に深化しています。目につくのはストリングスですね。1作目でも一緒にやったロンドン・コンテンポラリー・オーケストラが更に重要な役割を果たしていて、特に8分の大作、#7『Bending Hectic』なんて、そこにジョニーがいつ以来かっていうぐらいギターをギャンギャンかき鳴らしてますから、不思議な音階の序盤も含めてここがやっぱりハイライトですね。

1作目にあったテンポの速い曲は#4『Under our Pillows』ぐらいですけど、代わりにゆったりとしたよいメロディが目立ちます。ということで最後の美しい#8『You Know Me!』なんて普通にレディオヘッドですけど、一体レディオヘッドと何がどう違うのか分からなくなってきた。

ロンドン・コンテンポラリー・オーケストラはレディオヘッドの最新作(って言っても2016年ですけど)『A Moon Shaped Pool』でも大々的に参加していて、てことはつまりこのアルバムは『A Moon ~』からコリンとエドとフィルの3名が抜けただけということになりますな。これだけいい曲あるんだったらレディオヘッドでやってもええ感じになると思うんやけど、そういうわけにもいかんのだろうか。ていうかThe smile はレディオヘッドを差し置くほど心地いいのか。『A Moon ~』の延長線のように思うんだけどなぁ。

ただ見ていただけなのです

ポエトリー:

「ただ見ていただけなのです」

 

ぼくときみは目立つ方ではなかったけど
入学してまもなく学級委員に選ばれた
多分お互い背が高くて真面目そうだったからかもしれない

あの子とはよく目が合うんだよ
友だちにそう言ったら
おまえが見てるからじゃないかって言われた
あぁ、そういうことか

そういや一度だけ
彼女に悪態をついたことがある
周りにクラスメートがたくさんいたとき
彼女の名字をからかった

二人そろって委員会に出席することはあったけど
一度も話すことはなかったな
部活が同じだったのは
わざとじゃないよ

3年経ってもぼくは恋をした覚えはなくて
よくある話
きれいなきみをただ見ていただけなのです

 

2024年3月

 

Madra / New Dad 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Madra』(2024年)New Dad
(マドラ/ニュー・ダッド)

 

アイルランドのギター・バンドのデビュー作。10年代なんてギター・バンドの噂などろくに聞かなかったのに、ここ数年で次々と新しいバンドの名前を聞くようになった。これはやっぱり今流行っているものだけを聴くということではなく、サブスクにより時系列があまり関係なくなったというのもあるだろうし、音楽に限らず物事はどちらかに偏っているように見えて、いずれは行ったり来たりするということなのかもしれない。それにしても昨年あたりから素敵な女性ギター・バンドが本たくさん出てくる。

それはさておき何かひっかかるバンドではある。シューゲイズかと思えばそうとは言い切れないし、ドリーム・ポップという雰囲気でもない。そう思いながら何回か聴いているとこれは歌のアルバムなのだろうということに気付いてきた。サウンド的に何かに特化するのではなく、あくまでも歌に寄り添うサウンド。しかし歌を前面にださないそこはかとない歌心。つまりどっちかって言うと、シューゲイズよりフォークロックの感触。ってことで僕は引っ掛かるのだろう。

つい特定のジャンルに引き寄せてしまいたいこちらの気持ちをはぐらかすようなどっちつかずのサウンドで、浮遊感というより寄る辺なさを歌う。今はやりのサッド・ソングかと思いきやそうでもないユーモアの残骸。物事に言い切れることはないんだよということを初めから分かっているかのよう。とか言いながら、突然#5『In My Head』とか#8『Dream Of Me』とか#9『Nigntmares』みたいなキャッチーなポップ・ソングが突然やって来る。確かに言えることは、これはやっぱり2024年の音楽ということだけだ。

12 hugs (like butterflies) / 羊文学 感想レビュー

邦楽レビュー:

『12 hugs (like butterflies)』(2023年)羊文学

 

アニメのエンディングテーマとなった#2『more than words』はJ-POPらしい複雑なメロディとなにより今求められるエモさをこれでもかと詰め込んだ力作だ。しかしそれはかつて「聴き飽きたラブ・ソングを僕に歌わせないで」と歌ったオルタナティブな精神と矛盾しない。彼女たちはそのうえでメインストリームの大多数に訴えかけるロック・バンドを目指してきたのだから。

そして遂にそこへ到達した。というより順調に段階を踏んでここまでやって来たと言うべきか。#2『more than words』が目立つが、#4『GO!!!』や#8『honestly』も別次元へ進んだ羊文学ならではのしなやかさと強さを併せ持つ曲だ。それこそアニメの主人公が一番大事なところは心に残したままパワーアップしたかのように、羊文学は次のステップへ歩みを進めた。

もうこれで、儚さが魅力ではあったけど、次世代のトップ・ランナーとしての力強さという点ではどうなのかというところを完全に払拭したのではないか。ロック・バンドというと日本ではまだまだ男のものというイメージから逃れ出ないけど、羊文学には性別を超えた存在として最前線に立ってほしい。海外で新しい価値観を持った新しいロックが次々と生まれている中にあって日本には羊文学がいる、そして彼女たちは世界に向けて全く引けを取らない対等な存在であると。そのための新しい強さや覚悟がこのアルバムには込められていると思う。

女性アーティストが大活躍をした2023年の暮れに羊文学が決定的なアルバムを出したことが嬉しい。さあ、次は世界だ。